陸
早月葉子という火
早月葉子は、目を惹く女だった。美しく、語学ができ、人の心の動きを一目で読み、読んだそばから相手を思うように動かした。そのことを、彼女自身がいちばんよく知っていた。知っていて、使わずにいられなかった。
若い日に、木部という男と一緒になり、子を産み、そして飽きた。産んだ娘の定子は乳母の手にあずけられ、六歳の童女になっていく。葉子はその子を、抱きしめたいほど思い出しては、同じ強さで遠ざけた。母であることを拒みながら、母であることを渇いた。どちらも本気だった。
世間はそういう女に名前をつけたがる。ふしだら、と誰かが言い、可哀想に、と誰かが言い、聡明なのに、と惜しむ声もあった。名前をつけられるたびに、葉子は静止画にされていく。けれど彼女の中で燃えているものは、止まってなどいなかった。欲しがり、飽き、試し、また欲しがる——同じ一つの火が、休みなく形を変えていた。
その火は、陸の上では持て余された。世間の目が、親類の算段が、まだ会ってもいない婚約者の木村が、火のまわりに柵を立てる。平穏な暮らし。確かな相手。落ち着いた将来。どれも彼女を静かに殺しにかかる。柵の内側で、葉子はいつも少しだけ死んでいた。
或る女
平穏な、その代わり
死んだも同然な一生がなんだ。
純粋な、その代わり
冷えもせず熱しもしない愛情がなんだ。
生きる以上は
生きてるらしく生きないでどうしよう。
愛する以上は命と取りかえっこをするくらいに
愛せずにはいられない。
ARISHIMA TAKEO ・「或る女」後編
業
同じ一つの火
倉地との日々は、幸福とは呼びにくい。嫉妬があり、疑いがあり、金の不安があり、病がある。それでも葉子は、この関係を選び直しつづける。倉地の事をちょっとでも思うと、血が一時にわき立つ——平穏な、その代わり死んだも同然な一生がなんだ、と彼女は思う。その火が、彼女を生かし、同時に焼いていく。
葉子を悪女と呼ぶのも、時代の犠牲者と呼ぶのも、たやすい。けれどどちらの名も、彼女を一枚の絵に貼りつけて、動きを止めてしまう。葉子は動詞で生きている。欲しがり、飽き、試し、燃やし、拒み、渇く。倉地を欲した火と、木村へ向かうはずだった火と、定子を手放した火は、別々の出来事ではなく、一人の女の中で絶えず燃えつづける一つの火だった。
聡明さと虚栄が、同じ顔をしている。
それを、彼女自身にも止められない。
彼女は自分の意志が強いことを知っていた。知っていながら、どの男との関係も、どこまでが本気でどこからが演技か、自分でも見分けられなくなる。試すことが本気になり、本気が試しに変わる。数行のあいだに決断と翻意が入れ替わる、その速度こそが葉子であり、有島武郎はそれを裁かず、聖女にもせず、温度のまま書き切った。
これを業と呼ぶのは、道徳の言葉としてではない。持って生まれた火を、消すことも飼いならすこともできず、燃えたいように燃えれば周りも自分も焦がしてしまう——その、どうにもならなさのことである。生きる以上は生きてるらしく生きないでどうしよう。この一行は、開き直りでも宣言でもなく、火に灼かれている本人の、正直な声だった。
やがて船は港に着く。世界はぴたりと水平に戻り、揺れていたものが、すべて止む。
陸には、また柵がある。世間があり、噂があり、病がある。傾いていた甲板の自由は、接岸とともに畳まれてしまう。
火の温度を、胸に。
白い長袖の胸に、横浜の洋館の一室と、縦組みの一行——生きる以上は生きてるらしく生きないでどうしよう。緋のカーテン、赤い絨毯、揺り椅子。葉子の火が似合った、洋の部屋。断罪も弁護もせず、ただその温度のまま持ち歩くための一枚である。
名乗りをひとつだけ。47storiesJPは、著作権保護期間の満了した日本文学から都道府県ごとに一作を選び、その言葉を物語の土地の実写の風景と組んで、Tシャツにしています。言葉は有島武郎『或る女』の葉子の思いより、風景は横浜市・中区の洋館の一室の実写。写真のなかに立つ人物は、生成AIが描いた架空の巡礼者で、実在しません。神奈川の一作が、この物語です。
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後編の終わり、葉子は病んで、白い床に横たわる。もう傾く甲板はなく、燃やすべき相手もいない。ただ、白い天井が、まっすぐに水平である。
あれだけ休みなく形を変えた火が、最後にどこへ行ったのか。有島武郎はそれを書き切って、答えは読む者にあずけた。火の記憶だけが、紙の上に残っている。
討論の記録
葉子の火を、声で解きなおす。
第22回 神奈川/有島武郎『或る女』
「抑圧的な道徳の檻に抗う過酷な生存戦略」
一人の女の火と、それを許さなかった陸の話。