山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、
詩が生れて、画が出来る。」
明治三十九年『草枕』冒頭
草枕
明治三十九年発表。舞台は熊本の山中の温泉場、那古井。語り手は三十いくつの画工で、人の世に飽きて、世界を一幅の画として見る「非人情」の旅に出ます。絵筆は、ほとんど出てきません。それでも最終行で、画は完成します。この頁は、その完成までを歩くものです。
三尺、離れる
非人情は、冷淡のことではない。作中で画工自身が訂正している——「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです」。人情を捨てるのではなく、人情から三尺だけ離れて、世界を画として眺める。旅の初めに彼はこう決める。これから逢う人物を「ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して」つきあおう。画中の人物なら、どう動いても怖くない。「間三尺も隔てていれば落ちついて見られる」からである。
これは風流の講義ではない。三十年、苦しんだり怒ったりを「仕通して、飽々した」人の、避難の設計図である。そして道具は誰にでも渡されている。曰く、「腹が立ったところをすぐ十七字にする」。すると「十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている」。腹を立てながら俳句は作れない。作った瞬間、怒っている自分は、眺められる他人になっている。百二十年前の本に、いちばん手軽な心の応急手当が書いてある。
「茫々たる薄墨色の世界を、幾条の銀箭が斜めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏まれる。」
「非人情がちと強過ぎたようだ。」
機鋒の人
宿の出戻りの娘、那美。画工が夜中に書き散らした句の下に、翌朝、誰かの鉛筆が返句を付けている——「海棠の露をふるふや朝烏」「花の影女の影を重ねけり」。挑発は、こちらが先に負けている。写生帖に描いた画を「さあ、この中へ御這入りなさい。蚤も蚊もいません」と突きつければ、「まあ、窮屈な世界だこと」、そのうえ「まるで蟹ね」と返される。二人の男に想われて淵川へ身を投げた長良の乙女の伝説には、「私ならあんな歌は咏みませんね」——「ささだ男もささべ男も、男妾にするばかりですわ」。
画工はこの人を描こうとして、描けない。顔の道具は皆いいのに、「どうしても表情に一致がない」。それは「不幸に圧しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ」と彼は見る。鏡が池のふちでオフィーリアの構図を思案していれば、本人が先回りして注文を出す——あそこは「身を投げるに好い所です」。描けない理由の名前を、彼はやがて見つける。多くある情緒のうち、あの顔に一度もあらわれないもの。憐れ、である。それが出た瞬間に画は成る。だが、いつ出るかは誰にも解らない。
「あれほど人を欺す花はない。」「あの色はただの赤ではない。」
「ぱっと咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾百年の星霜を、人目にかからぬ山陰に落ちつき払って暮らしている。」
「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」
画工は返事の代わりに、この池のふちで構図を考えつづける。上から椿を幾輪も落として、女が長えに水に浮いている感じ——そこまで決まって、顔だけが決まらない。
御籤のように読む
この小説には、小説の読み方まで書いてある。画工は洋書を、開いた所からいい加減に読む。那美が咎めると、こう答える——「初から読まなけりゃならないとすると、しまいまで読まなけりゃならない訳になりましょう」。「筋を読まなけりゃ何を読むんです」と畳みかける相手に、筋のほかのもの、つまり場面の美だけを、「御籤を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」。
これは『草枕』自身の説明書でもある。この小説を筋で覚えている人は少ない。椿の池、湯気の風呂場、廊下を行き来する振袖——場面の美で覚えている。どこから開いても成立する小説は稀で、この本は百二十年、そうやって読み継がれてきた。
あぶない、あぶない
旅の終わり、出征する青年・久一を見送りに、一行は川舟で停車場へ下る。「汽車の見える所を現実世界と云う」と画工は書く。「汽車ほど個性を軽蔑したものはない」。そして——「人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う」。
これは明治三十九年の文章である。朝の満員電車で、この頁をひらいている人がいたら、それは百二十年前に書かれたあなたの話だ。文明論はこう結ばれる。「あぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思う」。その、あぶない場所——停車場で、この小説の最後の一行が待っている。
プラットフォームに、送る者たちが立つ。久一を乗せた汽車が動き出し、窓が一つ、また一つ、目の前を過ぎていく。最後の三等列車の窓から、もう一つ顔が出る——満洲へ発つ、那美の別れた夫である。
「茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。」
那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ!
それが出れば画になりますよ」
画工は最後まで、一枚も描きません。画は、絹の上でなく、他人の顔の上で完成します。小説はこの一行で終わります。
夏目漱石は一八九六年、第五高等学校の教師として熊本に住んだ。翌九七年の暮、峠を越えて小天の温泉に遊び、年をまたいで滞在したと伝わる。那古井のモデルはこの小天温泉とされ、泊まった前田家の別邸は、いまも残っている。
冒頭の山路のような道は、いまも熊本のそこかしこにあります。下の一枚は、熊本・甲岩自然公園の実写です。
いまの熊本・甲岩自然公園
胸にあるのは、智・情・意地の四文と、いまの熊本の実写です。
つくり手は47storiesJP。熊本は漱石の、この四文です。住みにくい日に、三尺の距離を携えるための一枚です。
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