山腹の濕地に猪が自ら凹所を設け水を湛へたる所を云ふ。猪は夜々來りて此水を飲み。全身を浸して泥土を塗り。近傍の樹木に觸れて身を擦る也。故にニタに注意すれば。附近に猪の棲息するや否やを知り得べし。
後狩詞記
明治四十二年、「民俗学」という言葉もまだ無かった頃。柳田國男は、私費でわずかに刷ったこの薄い一冊を世に出しました。日本の民俗学は、この本から始まります。
けれど、これは物語ではありません。論文でもありません。ひとつの山村——日向国、椎葉——の、猪狩のためだけの言葉の辞書です。猟師だけが必要とした、山の形の名。獲物を分け、山の神に返す作法の名。その多くは、いまはもう話されません。
柳田はそれを一語ずつ書き留め、序の終わりに、こう記しました。
「私はまだ山の神とは如何なる神であるかを知らないのである。」
土地の名目
words for the shapes of the mountain水枯渇して廢絶せるニタを云ふ。
荊棘茂り合ひ人容易に通過し能はざる處を云ふ。猪は大概シクレに伏し。又はシクレを通路とす。
傾斜地に砂礫疊々として通行するに一歩毎に砂礫の轉下する處を云ふ。ドザレは流石の猛猪も急進すること能はず。
雲受。天を眺むる如き山の頂上を云ふ。
嶺を云ふ。
△タヲは三備其他中國の山中にては。乢又は峠と書けり。乢の字の形が示す如く。たわむといふ語と原由を同じくするならん。
猪の寢床なり。笹、柴、茅などを集めて。粗末なるものを作れり。この笹草は如何に生ひ茂れる中なりと雖。決して一所に於ては採取すること無く。遠方より點々と持集め來りて。形跡を暗ますなり。
△草萎めば常に新しきを取そふるなり。カモにては子を育つる故にかく人に知られぬやうに骨を折る。
狩の作法
words for the ritual of the kill包圍中のカクラに分け入り。タカウソ(竹の笛)を吹き犬を呼びつゝ。隈なく捜索して猪を追ひ出す者を云ふ。
猪の心臓を云ふ。解剖し了りたるときは。紙に猪の血液を塗りて之を旗と爲し。コウザキの尖端を切り共に山の神に獻ず。コウザキはコウザキ殿と云ひ。又山の神をもコウザキ殿と云ふ。
矢立。又矢鉾ともいふ。猪を獵獲し分配の後。三度發砲して山の神に獻ずるを云ふ。
鯱に似たる細魚なり。海漁には山オコゼ。山獵には海オコゼを祭るを效驗多しと云ふ。祭るには非ず責むるなり。其方法はオコゼを一枚の白紙に包み。告げて曰く。
日本の民俗学の、最初の一冊を編んだ人は、
その世界を、まだ分かっていなかった。
「道の教は知るのが始であると聞く。」
——彼はそう書き添えて、辞書を閉じました。
明治四十二年二月一日 東京の市谷に於て 柳田國男
椎葉村を懐ふ
立かへり又みゝ川のみなかみに
いほりせん日は夢ならでいつ
椎葉村は、いまも宮崎県の山の奥にあります。三反とつづく平地は無く、家々は山腹を切り平げて建つ——柳田が書いた通りの村です。ここに受け継がれてきた焼畑は、二〇一五年、世界農業遺産に認定されました。
けれど、この辞書に並ぶ狩の言葉の多くは、もう話されていません。ニタも、コウザキ殿も、オコゼへの祈りも。柳田が書き留めなければ、意味ごと消えていたはずの言葉です。
下の一枚は、いまの椎葉村の実写です。
いまの宮崎・椎葉村
胸にあるのは、いまの椎葉の実写と、『後狩詞記』が記録した山の神への祭文です。
つくり手は47storiesJP。宮崎は柳田國男の、この辞書です。