はじまりの頁には、放浪が宿命である理由が書いてある。移りつづける子どもに、故郷という言葉は宿らない。
「父は四国の伊予の人間で、太物の行商人であった。母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。母は他国者と一緒になったと云うので、鹿児島を追放されて父と落ちつき場所を求めたところは、山口県の下関と云う処であった。私が生れたのはその下関の町である。 ――故郷に入れられなかった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。」
佐世保、久留米、下関、門司、戸畑、折尾と言った順に、四年の間に、七度も学校をかわって、私には親しい友達が一人も出来なかった。