『一握の砂』

石川啄木 Ishikawa Takuboku · 1910

巻頭歌

雪原へ

Departure  渋民 ― 出郷

石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし

Hakodate  函館 ― 青柳町

函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花

Hakodate  大森浜 ― 砂山

いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ

Sapporo  札幌 ― 秋の夜

しんとして幅広き街の秋の夜の玉蜀黍の焼くるにほひよ

Otaru  小樽 ― 声の荒さ

かなしきは小樽の町よ歌ふことなき人人の声の荒さよ

Otaru  停車場 ― 別れ

子を負ひて雪の吹き入る停車場にわれ見送りし妻の眉かな

Kushiro  さいはての駅

さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき

Kushiro  釧路の海 ― 冬の月

しらしらと氷かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな

Sorachi  凩のあと

ごおと鳴る凩のあと乾きたる雪舞ひ立ちて林を包めり

空知川雪に埋れて鳥も見えず岸辺の林に人ひとりゐき

雪に埋もれた空知川周辺の冬の岸辺。裸木の下、雪の上に人がひとり立っている。
富良野・空知川周辺の冬の実景。Sorachi River in winter.

寂莫を敵とし友とし雪のなかに長き一生を送る人もあり

三行に折るThree lines, and the white between them

啄木は歌を一行で書かなかった。三十一文字を三つに折り、行と行のあいだに白い間を置いた。声に出せば消えてしまう一続きの調べを、目で追える三つの段に区切ってしまう——読む速さを、書き手の側で決めてしまう仕掛けである。

だから頁の白は余りではない。歌と歌のあいだにも、行と行のあいだにも、雪原ほどの白が挟まっている。第一歌集『一握の砂』は、この折り方で編まれた五百五十一首を収める。数の多さよりも、一首ずつが抱えている間の広さを見てほしい。

歌だけが残ったA year that slipped through the fingers

明治四十年五月、啄木は本州を離れ函館に着く。商業会議所の雇い、小学校の代用教員、新聞の記者——職を継ぎ足しては暮らしをつないだ。函館にいたのは百三十日あまり。八月二十五日の大火が学校も新聞社も焼き、生計はまた振り出しに戻る。

九月に札幌、やがて小樽。妻子は幾度も預け先を変えた。明治四十一年一月二十一日、雪の空知川を車窓に渡って、さいはての釧路に着く。滞在七十六日。四月、船で港を離れ、海路そのまま東京へ向かった。一年に満たない漂泊で、職も家も、握った砂のように指のあいだから零れていった。

雪の歌は、雪のなかで書かれたのではない。北海道を離れたあと、東京で、追憶として詠まれている(自序に「明治四十一年夏以後の作」とある)。足跡はとうに雪の下に消え、残ったのは三行だけだった。歌集の刊行は明治四十三1910)年十二月、東雲堂書店。

刊行の直前、啄木は長男を亡くしている。巻末にはこう記された——「この集の見本刷を予の閲したるは汝の火葬の夜なりき。」

空知川の冬景色と三行歌『空知川雪に埋もれて/鳥も見えず/岸辺の林に人ひとりゐき』を胸に配した白のロングスリーブTシャツ。

零れなかった一首を、胸に。

雪に埋もれた空知川の岸に、人がひとり立っている。旅のさなかではなく、のちの追憶のなかで三行になった景色——その一首を、同じ景色の実景とともに一枚に組みました。

47storiesJPは、日本各地のパブリックドメイン文学を、その土地の風景とともに一枚に組むプロジェクトです。ここに置いた言葉は石川啄木の原文(青空文庫版底本)、風景は空知川周辺の冬の実景、雪の岸に立つ人影は生成AIが描いた架空の巡礼者です。

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作品討論ラジオ #12 は、この漂泊の一年と、握れば零れる砂の哀しみの回。

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言葉=石川啄木『一握の砂』の原文(青空文庫版底本)/風景=空知川周辺の冬の実景/人影=生成AIが描いた架空の巡礼者。