宮本百合子『貧しき人々の群』
見てしまった人へ。
↓近づく
村の南北に通じる往還に沿って、 一軒の農家がある。 人間の住居というよりも、 むしろ何かの巣といった方が、 よほど適当しているほど 穢い家の中は、 窓が少いので非常に暗い。
――『貧しき人々の群』冒頭
逞しい想像力で、 やがて自分等の食うべき物の、 色、形、臭いを想うと、 彼等の眠っていた唾腺は、 急に呼び醒まされて、 忽ち舌の根にはジクジクと唾が湧き出し、 頬ぺたの下の方が、 泣きたいほど痛くなる。
――『貧しき人々の群』
考えて見れば、 私が今日までしていたことの大部分は 人を恵むということに 餓えている心を 満たしていたのじゃあないか?
――『貧しき人々の群』
空っぽの手
私は、今まで尊がられていた いわゆる慈善だとか 見栄の親切だとかいうものを、 お前方のためを思うばっかりで、 散々に打ち壊した。 追い払ってしまった。 けれどもその代りとして あげるものはどこにあるか? 私の手は空っぽである。 何も私は持っていない。
――『貧しき人々の群』
慈善、見栄の親切、と自分で書き、自分で打ち壊す。残った手の中身の無さまで書いて、それでも筆を置かない。読み返すとき開くのは、いつもこのあたりの頁になる。
私の生活に意味のある間は死ねない。
宮本百合子『貧しき人々の群』
――と、引用される。
本のなかでは
私の生活に意味のある間は死ねない。 けれども私の今直ぐ傍では、 こうやって二人も死んでいる。
――『貧しき人々の群』
額に入れられるとき、いつも切り落とされる続きが、本のなかではすぐ隣にある。宣言は、二つの死の隣に書かれた。順序ごと覚えていたい。
私は泣きながらでも勉強する。 一生懸命に励む。 善馬鹿の死骸は 夜になってから見つかった。 隣村の端れの沼に 犬を抱いて彼は溺れていた。 沢山の小海老の行列が、 延びた髪の毛の間を、 出たり入ったりしていたという。
――『貧しき人々の群』結び(抄)
物語は宣言では終わらない。最後の一文は、沼で犬を抱いて溺れた男の髪を出入りする、小海老の行列である。この目は最後まで直視をやめない。
貧しき人々の群
宮本百合子 一九一六年「中央公論」 福島- 原題
- 最初の題は「農民」。発表のとき——「題をそのとき「貧しき人々の群」とつけ直した。」(『作者の言葉』)
- 観察
- 村を
救おうと書こうとした人の原稿は、憐れみの語彙のかわりに「唾腺」と書き、冒頭の農家を「巣」と書く。 - 手製本
- 「一九一六年の夏のはじめに書き終ったが、誰に見せようとも思わず、ひとりで綴じて、木炭紙に自分で色彩を加えた表紙をつけた。」(同) 最初の読者は友人、その次が母。「母は感動していた。そして、涙をおとした。」
- 初出
- 「中央公論」一九一六(大正五)年九月号。署名は中条百合子。作者自身は「一九一六年、十八歳の秋に発表された」と書き残している。(『作者の言葉』)
- 序
- 底本には一九一七年三月十七日付の序文が収められている。倒れない誓いではない。——「けれども、私はどうぞして倒れ得る者になりとうございます。地響を立てて倒れ得る者になりとうございます。」
- 舞台
- 「福島県のある村に祖母が住んでいて、孫のわたしは五つぐらいのときからちょいちょいその東北の村で生活をした。」(『作者の言葉』) 祖父・中條政恒は安積開拓に尽力し、猪苗代湖から水を引く安積疏水の計画に関わった。
- 底本
- 「宮本百合子全集 第一巻」新日本出版社。青空文庫、二〇〇二年公開。
この一文を壁に飾る気には、なれない。すぐ隣にふたつの死があったことを、読んだ人は知っているから。
それでも持ち歩くなら、胸がいちばん近いと思う。つくっているのは 47storiesJP。県ごとに名作をひと篇ずつ選び、原文の一行を、いまのその土地の実写に重ねる仕事をしています。福島のひと篇が、この『貧しき人々の群』。
価格・仕様はSUZURIの商品ページでご確認ください。
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水門の上を歩く人物は、生成AIが描いた架空の巡礼者で、実在しません。