古典の授業の、たいてい最初のほうで出てくる一文です。男の書き手が、女のふりをして書きはじめる——そこだけ習って、笑って、終わった人が多いと思います。
大人になって続きを読んで、はじめて知る人が多い。この日記が、土佐で娘を亡くした父親の、帰り道の記録だということを。
日付の下に
悲しみは、地の文ではなく日付の下に置かれています。
京へ歸るに女子のなきのみぞ悲しび戀ふる。
都へとおもふもものゝかなしきは かへらぬ人のあればなりけり
子を戀ふる思ひにまさる思ひなきかな
うまれしもかへらぬものを我がやどに 小松のあるを見るがかなしさ
そして五十五日の大半は、こういう一行です。
六日、きのふのごとし。
十三日、なほ山崎に。
廿八日、よもすがら雨やまず。けさも。
十九日、日あしければ船いださず。
廿四日、昨日のおなじ所なり。
三日、同じ所なり。
日記は、こういう日のほうが多い。
最後の日、貫之はこう書いて筆を置きます。
とまれかくまれ疾くやりてむ。
——破り捨ててしまおう。そう書かれた日記が、千年残っています。
この一枚
図案は琴ヶ浜の海と、あの書き出しです。教科書で会った一文を、海の前でもう一度。
つくっているのは47storiesJP。四十七の県から一作ずつ、言葉といまの風景で一枚に仕立てる仕事です。高知は貫之の、この五十五日。
いまの芸西・琴ヶ浜
デッキに座る人物は、生成AIが描いた架空の巡礼者で、実在しません。