47storiesJP47の物語
四十七分の十八
みづにうかべど空をとぶ
ふたつのつばさぬらさじと
かろきたくみのかもめどりこころををしむ旅人の
あはれゆかしき江のみづに
あとなきときは流れつつ
Floating on water, yet flying in sky — two wings kept dry, the light, skillful seagull.
——三好達治「みづにうかべど」(詩集『故郷の花』一九四六)
一九四四年五月、三好達治は福井県坂井郡三国町——九頭竜川が日本海に注ぐ湊町へ移り住んだ。戦争の末期である。翌年の夏、敗戦の報をこの北の海辺で聞き、それでも詩人は町を離れなかった。東京・世田谷へ戻るのは一九四九年二月。五年ちかく、住所はずっと三国だった。
その真ん中の年、一九四六年に詩集『故郷の花』が出る(大阪・創元社)。預金が封鎖され、紙幣が旧円から新円へ切り替わった年だ。手もとの金が、ある朝から使えない——そういう種類の貧しさが国じゅうを覆っていた。では三国の詩人の家はどうだったか。同じ詩集の「蟋蟀」が、虫の声でそれに答えている。
屋根のうへにも鳴く蟋蟀
かくて彼らは夜もすがら
主が貧とかたくなと
才短きをうたふなり
——「蟋蟀」(『故郷の花』)
あるじの貧と、かたくなと、才の短さを、家じゅうの虫が夜どおし歌う。自嘲がそのまま俳味になっている。困窮を取り繕わないかわりに、嘆きもしない——この距離の取り方が、『故郷の花』一冊の呼吸である。
同じ一冊に、人語の絶えたこの突堤と、あのかもめの小唄が並んで綴じられている。冬の荒天を正面から書き切った頁のすぐそばで、一羽が翼を濡らさずに浮かんでいる。『故郷の花』を通読すると、この落差こそが詩集の本体だと分かってくる。
「かろきたくみ」と達治は書いた。軽さは、生まれつきの呑気ではない。技巧(たくみ)である。水に浮かぶことと空を飛ぶことを一羽の身で両立させ、そのために翼だけは濡らさない——貧窮の水にからだを浸けながら、歌う器官までは浸けてしまわないこと。紙幣が重く、家計が重く、国の敗れが何より重かった季節に、七五の仮名でこの小唄を歌うことは、重さの時代への静かな不服従だった。
同じ詩集の「海邊暮唱」に、こんな問答がある。「彼方に大いなる船見ゆ/敵國の船見ゆ/いえいえあれは雲です」。見えてしまうものを、雲です、と言い直す。この否認さえ軽さの技巧のうちにある。羽を濡らさぬ鳥は、知らないふりの名人でもあった。


図案は、三国の海の実写に「みづにうかべど」の全行を仮名づかいそのまま縦に流したもの。白いTシャツの胸で、一羽はいまも翼を濡らしていない。
つくり手は47storiesJP。著作権の保護期間が明けた日本文学から一県に一作を選び、その言葉を舞台の土地の実写と重ねてTシャツに仕立てている。福井の一枚がこの『故郷の花』。言葉は達治の原文、海は三国の実写。人物を置くときは、生成AIが描いた架空の巡礼者だけと決めている。
47storiesJP
「みづにうかべど空をとぶ ふたつのつばさぬらさじと かろきたくみのかもめどり」
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#11 福井 / 三好達治『故郷の花』
新円切替の極貧と詩人のエゴイズム
福井回の作品討論ラジオは、この軽さの費用を誰が払ったのかを話している。新円切替の年の家計と、詩人のエゴイズムと、それでも消えない仮名の涼しさと。
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