萩原朔太郎『月に吠える』

月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。

――『月に吠える』自序

さあ、そろそろ歩きはじめた、

みんなそつとしてくれ、

そつとしてくれ、

おれは心配で心配でたまらない、

たとへどんなことがあつても、

おれの歪んだ足つきだけは見ないでおくれ。

おれはぜつたいぜつめいだ、

おれは病気の風船のりみたいに、

いつも憔悴した方角で、

ふらふらふらふらあるいてゐるのだ。

――「危険な散歩」

ぬすつと犬めが、 くさつた波止場の月に吠えてゐる。

いつも、 なぜおれはこれなんだ、 犬よ、 青白いふしあはせの犬よ。

――「悲しい月夜」(抄)

私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。

――自序

沈む

かたき地面に竹が生え、 地上にするどく竹が生え、 まつしぐらに竹が生え、 凍れる節節りんりんと、 青空のもとに竹が生え、 竹、竹、竹が生え。

――「竹」

光る地面に竹が生え、

青竹が生え、

地下には竹の根が生え、

根がしだいにほそらみ、

根の先より繊毛が生え、

かすかにけぶる繊毛が生え、

かすかにふるえ。

――「竹」

地面の底に顔があらはれ、 さみしい病人の顔があらはれ。

地面の底のくらやみに、 うらうら草の茎が萌えそめ、 鼠の巣が萌えそめ、 巣にこんがらかつてゐる、 かずしれぬ髪の毛がふるえ出し、 冬至のころの、 さびしい病気の地面から、 ほそい青竹の根が生えそめ、 生えそめ、 それがじつにあはれふかくみえ、 けぶれるごとくに視え、 じつに、じつに、あはれふかげに視え。

地面の底のくらやみに、 さみしい病人の顔があらはれ。

――「地面の底の病気の顔」全行

根の根の細かな繊毛のその岐れの 殆ど有るか無きかの毛の尖のイルミネエション、 それがセンチメンタリズムの極致とすれば、 その毛の尖端にかじりついて泣く男、 それは病気の朔太郎である。

――北原白秋の序より
  1. 初版は大正六年。「自費の負担で僅かに五百部ほど印刷し、内四百部ほど市場に出したがその年の中に売り切れてしまつた。」(再版の序)
  2. 装丁は田中恭吉に託されたが、完成を見ないまま田中は病死した。遺志は無二の親友・恩地孝四郎が継いだ(詩集例言)。
  3. 収載の詩は「地上巡禮」「詩歌」「ARS」「卓上噴水」「LE・PRISME」「感情」など、一九一四年から一七年の同人誌に散っていた。「竹」は「詩歌」一九一五年二月号、「危険な散歩」は同六月号、「地面の底の病気の顔」は「地上巡禮」同三月号。
  4. 朔太郎は群馬・前橋の生まれ。底本は青空文庫。かなは旧仮名で引いた。
地上へ連れ出す一枚
白い長袖シャツ。冬木立の径をゆく巡礼者の写真と、「おれは病気の風船のりみたいに、いつも憔悴した方角で、ふらふらふらふらあるいてゐるのだ。」の縦組み。
胸にあるのは「危険な散歩」の、あのふらふらの三行。

ここまで降りてきた人に。この詩集の言葉は根の先の暗がりで書かれて、それでも地上を歩くための言葉です。だから一枚にしました。

つくり手は 47storiesJP。一県にひとつずつ、文学をいまの土地の写真と組む仕事場です。群馬は前橋の、この神経の詩集。

この一枚は、まだ地上に出ていません。

着たい方はフォームからひと言を。届いた声を見て、つくるかを決めます。数も期限も設けません。

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いまの前橋
冬枯れの木立の径。薄紫の空の下、リュックを背負った巡礼者が立ち止まっている。
いまの群馬・前橋の実写。
冬木立の径に立つ人物は、生成AIが描いた架空の巡礼者で、実在しません。
作品討論ラジオ

第四十七回は、この詩集の夜です。

#47 群馬『月に吠える』を聴く