「おはよう、おはよう」という人間に似て人間でない声が、隣の方から庭ごしに聞こえてきた。
「おつるさん、おつるさん」
隣の九官鳥
白い襦袢に白い腰巻をして、冬大根のように滑らかな白い脛を半分ほど出してまめまめしく、しかしちんまりと静かに働いていた。
朝の流しで
「ならんわに」
お絹
「働かんと姉さん口煩いから」
おひろ
「いいわいね、お金ができれば持っていらはる」
「またいいこともある。悪いことばかりはないもんや」
母の口癖
席はいつも、彼女が直す。
彼女は中の間の先きの庭に向いた部屋へ座蒲団を直して、
「そこは暑いぞに。ここへおいでたら」と勧めた。
「ここへ来ておあがんなさい」
そして桝が四人詰であったところから仲間を誰れと誰れとにしようかと、そんな評定をしているうちにお絹が少し困った立場に立つことになってきた。
廓ではことにもその噂が立って、女たちは寄るとさわると、その話をしていた。
「京ちゃんは自分で行けばいいのに」
お絹、蔭で
「私何だってそんなこと言うもんですか。でも京ちゃんはいっしょに行くことに決めているさかえ」
お絹
「それも工合がわるい。あの人もいっしょに行くつもりにしているのやさかえ」
お絹
しかし一人のお絹を連中から喰みだしてはならなかった。お絹なしには芝居見物はむしろ無意味で、怠屈で、金の濫費であった。
お絹ほど好きな女は、どこにも見当たらなかった。
もし事情が許せば、静かなこの町で隠逸な余生を楽しむ場合、陽気でも陰気でもなく、意気でも野暮でもなく、なおまた、若くもなく老けてもいない、そしてばかでも高慢でもない代りに、そう悧巧でも愚図でもないような彼女と同棲しうるときの、寂しい幸福を想像しないではいられなかった。
道太は何をするともなしに、うかうかと日を送っていたが、お絹とおひろの性格の相違や、時代の懸隔や、今は一つ家にいても、やがてめいめい分裂しなければならない運命にあることも、お絹が今やちょうど生涯の岐路に立っているような事情も、ほぼ呑みこめてきた。
そして一番寂しい道に 立っているのは、 何んといっても お絹であった。
道太は九官鳥が一生懸命にお饒舌をつづけているのを聞きながら、ついに果てしない寂しさに浸されてきた。
「あれでも歌のつもりですよ。お稽古の真似や」
お絹
観劇は案じるよりも産みやすかった。
リツコジウビヨウビヨウメイミテイダイガクヘニウインシタアトフミ
電文
「わたしは皆さんがおいでると悪いさかえ、お見送りはしません」
お絹
すると間もなく、お絹がにわかにそこへ姿を現わした。皆んなは目をそばめた。
「はいお弁当」
「それからこれ
シャボンと歯磨」
汽車が出てしまった。
道太は少しずつ落ち著いてくると同時に、気持がくすぐったくなってきた。 二十日ばかりのお絹との接触点を振り返えると、今でもやっぱり彼女は謎であった。
この小説で手渡されるのは、弁当と石鹸です。窓越しに渡る品はどれも実用で、素っ気なくて、いちばん深い。一枚のシャツも、その側の物でありたいと思います。
47storiesJPは、四十七の県にひと作品ずつ、その言葉といまの風景を一枚に組んでいます。石川は秋声の、この二十日の話。言葉は徳田秋声の原文です。
格子の道をゆく人物は、生成AIが描いた架空の巡礼者で、実在しません。