寒山落木

卷一 正岡子規

梅のさく門は茶屋なりよきやすみ

一重づゝ一重つゝ散れ八重櫻

白魚は雫ばかりの重さ哉

壁ぬりの小手先すかすつばめ哉

行く春や大根の花も菜の花も

櫻より奧に桃さく上野哉

【松山】

寒梅や的場あたりは田舍めく

涼しさや闇のかたなる瀧の音

夏の月四條五條の夜半過

雲の峰に扇をかざす野中哉

ちゞまれば廣き天地ぞ蝸牛

竹の子や隣としらぬはえ處

苗の色美濃も尾張も一ツかな

五月雨は杉にかたよる上野哉

白無垢の一竿すゞし土用干

名月や角田川原に吾一人

秋風や伊豫へ流るゝ汐の音

明月のうしろに高し箱根山

稻妻にひとゆりゆれる鳴子かな

行秋や松茸の笠そりかへる

鹿の聲隣の山へかゝりけり

椎の實や袂の底にいつからぞ

はつきりと行先遠し秋の山

【松山城】

松山や秋より高き天主閣

名月や伊豫の松山一万戸

初雪や小鳥のつゝく石燈籠

小春日や又この背戸も爺と婆

白足袋のよごれ盡せし師走哉

燒芋をくひ/\千鳥きく夜哉

關守の雪に火を燒く鈴鹿哉

裏表きらり/\とちる紅葉

【松山堀ノ内】

梟や聞耳立つる三千騎

鷺谷に一本淋し枯尾花

ここまでで、巻一。

明治二十八年、春。

春や昔十五万石の城下哉

最後の一句が、いま、松山駅前の句碑に立っています。明治二十八年、二十八歳、日清戦争の戦地へ発つ直前——このあと喀血が悪化して、子規はこの城下を自分の足で歩けなくなります。

繰ってきたのは『寒山落木』——子規が若書きも消さずに残した、自筆の全句稿です。

巻頭には自筆の年譜があります。ほとんど毎年、「歸省」。その同じ調子で、「咯血」。

明治十八年 夏郷里松山ニ歸ル○嚴嶋ニ遊ビ祭禮ヲ觀ル○九月上京

仝  廿年 春腸胃ヲ病ム上野ヲ散歩ス○夏歸省○九月上京

仝 廿二年 四月水戸ニ遊ブ徃復一週間○五月咯血 七月歸省九月上京不忍池畔ニ居ル後再ビ常盤會寄宿舍ニ入ル 十二月歸郷

仝 廿三年 一月上京七月歸郷 九月三井寺觀音堂前考槃亭ニ居ルコト七日直チニ上京

明治二十八年の春の句を最後に、子規はこの往復をできなくなります。

この一枚
白い長袖シャツ。堀之内の庭園と城山の写真に、「春や昔十五万石の城下哉」の縦書き。
胸には堀之内と、あの句。

胸にあるのは、駅前の句碑と同じ句です。旅先で一度会った言葉と、堀之内の実写を組みました。

つくり手は47storiesJP。文学を県ごとに一作、いまの風景と一枚にしています。愛媛は子規の、この句。

未販売です。

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いまの松山・堀之内
堀之内の庭園。石組みの水面と紅葉しはじめた木々、背後に城山の緑。園路を人物が歩いている。
いまの愛媛・松山の実写。
園路の人物は、生成AIが描いた架空の巡礼者で、実在しません。
作品討論ラジオ

第四十四回で、子規の松山を歩いています。

#44 愛媛『寒山落木「俳句」』を聴く