この半分を、覚えている人へ。
「一つはやられぬ。 半分やろう。」
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桃太郎
芥川龍之介 一九二四年 香川 女木島犬はしばらく強情に、 「一つ下さい」を繰り返した。 しかし桃太郎は何といっても 「半分やろう」を撤回しない。 こうなればあらゆる商売のように、 所詮持たぬものは 持ったものの意志に服従するばかりである。
――芥川龍之介『桃太郎』犬猿雉の三匹は 仲の好い家来では なかったかも知れない。 が、饑えた動物ほど、 忠勇無双の兵卒の資格を 具えているものはないはずである。
読み返すたび、この値切りでいちど笑ってしまい、そのあと笑えなくなる。犬猿雉はお伽噺のお供ではなく、黍団子半分で雇われた饑えた兵卒だった。旗印は日本一、経理は世知辛い。
鬼が島は絶海の孤島だった。 が、世間の思っているように 岩山ばかりだった訣ではない。 実は椰子の聳えたり、 極楽鳥の囀ったりする、 美しい天然の楽土だった。
鬼は熱帯的風景の中に 琴を弾いたり踊りを踊ったり、 古代の詩人の詩を歌ったり、 頗る安穏に暮らしていた。
――『桃太郎』殊にもう髪の白い、 牙の脱けた鬼の母は いつも孫の守りをしながら、 我々人間の恐ろしさを 話して聞かせなどしていたものである。
鬼の母が孫に語る「人間というもの」の姿は、昔話がずっと鬼に振ってきた役どころそのままである。とはいえこの短篇は、どちらかに肩入れする暇を与えてくれない。瘤取りの鬼も大江山の童子も引き合いに出して、伝説というものの真偽の危うさごと茶化してくる。その意地の悪さを、むしろ信用している。
桃太郎はこういう罪のない鬼に 建国以来の恐ろしさを与えた。
――『桃太郎』
「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、 一匹も残らず殺してしまえ!」
鬼が島はもう昨日のように、 極楽鳥の囀る楽土ではない。
――『桃太郎』
「わたくしどもはあなた様に 何か無礼でも致したため、 御征伐を受けたことと存じて居ります。 しかし実はわたくしを始め、 鬼が島の鬼はあなた様に どういう無礼を致したのやら、 とんと合点が参りませぬ。 ついてはその無礼の次第を お明し下さる訣には参りますまいか?」
「それはもとより 鬼が島を征伐したいと志した故、 黍団子をやっても召し抱えたのだ。 ――どうだ? これでもまだ わからないといえば、 貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
――『桃太郎』鬼の酋長は驚いたように、 三尺ほど後へ飛び下ると、 いよいよまた丁寧にお時儀をした。
なぜ、への答えが「征伐したいと志した故」。理由が理由の尻尾を咥えて、その場でくるりと一周する。三尺下がった酋長の礼儀は、恐怖の別名だったろうと思う。
しかし桃太郎は必ずしも 幸福に一生を送った訣ではない。
――『桃太郎』その間も寂しい鬼が島の磯には、 美しい熱帯の月明りを浴びた 鬼の若者が五六人、 鬼が島の独立を計画するため、 椰子の実に爆弾を仕こんでいた。
めでたし、では終わらない。磯の月明り、椰子の実、爆弾。これが週刊誌の夏の特別号に載ったのは一九二四年である。この場面から目を上げたときに何を思うかは、書かれていない。
奥付
- 初出
- 「サンデー毎日 夏期特別号」一九二四(大正十三)年七月。本文末尾の日付は(大正十三年六月)。
- 著者
- 芥川龍之介(一八九二―一九二七)。
- 底本
- ちくま文庫「芥川龍之介全集5」。青空文庫、一九九九年公開・二〇一二年修正。
- 用字
- 「思い立った訣」「幸福に一生を送った訣ではない」——いずれも「訳」ではなく「訣」の字。黄泉の国への坂は「黄最津平阪」。
- 細部
- 桃太郎の旗は「桃の旗」、采配は日の丸の扇。犬は猿を、猿は雉を、雉は犬を莫迦にする。鬼の暮らしは琴と踊りと、古代の詩人の詩。
- 数
- 青空文庫版の本文で数えると、「征伐」は八回。「平和」は一回——その一回は、鬼の島の側にある。
- 八咫鴉
- 冒頭、運命は一羽の八咫鴉になって桃の実を啄み落とす。結びで問われるのは、その鴉が「今度はいつ」戻るか。
- 反復
- 「未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている」の一文は、結びの段に二度書かれている。一度目は「しかし」に続き、二度目は「ああ、」に続いて、末尾は「……」に沈む。
- 女木島
- 高松の沖、船でおよそ二十分。「鬼ヶ島」の名で桃太郎の伝説が伝わる島。
(大正十三年六月)ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……
――芥川龍之介『桃太郎』
四十七都道府県、一県にひと篇。47storiesJP の仕事は、名作の原文から一行を選び、その土地のいま在る風景に重ねて一枚の図案にすることです。香川の一篇が、この『桃太郎』。胸の一行は、読んだ人にだけ届く合図のつもりです。
白い猫としゃがみこんでいる人物は、生成AIが描いた架空の巡礼者で、実在しません。