47storiesJP47の物語
HYOGO — 26 / 47
花では何が一番好きかと
問われれば、
躊躇なく桜と
答えるのであった。
——『細雪』上巻より
答えているのは、四姉妹の次女・幸子。毎年春、夫と娘と妹たちを連れて京都へ花を見に行くことを欠かさない人である。
今年も、咲きはじめる。
満開一年待った一瞬は、いちばん残酷な一瞬でもある。
風がひとつ入って、枝がすこし軽くなる。
蒔岡家の花見は、行楽ではない。上巻のまんなかに据えられた、年に一度の定点観測である。毎年春が来ると、夫や娘や妹たちを誘って京都へ花を見に行くこと
が行事になっていて、順路もほぼ決まっている。締めくくりは平安神宮の紅枝垂——夕空にひろがる紅の雲
の下に、四人の身体が並ぶ。
花は、遠くの景色ではない。嵯峨の厭離庵ではあの入口のところにある桜が姉妹たちの袂におびただしく散った
。袂に、髪に、肌のすぐそばに降る。だから満開の下で、幸子はかならず同じ計算をしてしまう。花の盛りは廻って来るけれども、雪子の盛りは今年が最後ではあるまいか
。桜は毎年きっかり咲く。咲くたびに、雪子の縁談がひとつ古びる。この小説で桜は、暦であり、時計であり、検針である。
その阪神間で、夙川は四女・妙子の土地だ。人形づくりの仕事部屋を借りたのは夙川のアパート。恋の噂が立ったのも、奥畑の啓坊と夙川の土手を歩いてはった
と人に見られたからである。桜の川べりはこの小説では、視線の行き交う場所として書かれている。

絹の下で、この小説の身体はずっと音を立てている。芦屋の家には注射器が常備されていて、脚気は阪神地方の風土病であるとも云うから
、家族はヴィタミンBを打ち合う——家族が互に、何でもないようなことにも直ぐ注射し合った
。幸子のあたし『B足らん』やねん
のひと言は、着物の畳紙を解く手つきと同じ一つの文の中で書かれる。装いと不調が、同じ精度で並ぶのだ。
見合いの章では、その身体が今度は値踏みされる側に置かれる。年齢を数えられ、器量を検分され、家の釣合いを測られる。雪子は何度も、明るい場所へ出されては見られる。読んでいて肌が粟立つのは、そこに悪意がないからだ。善意の親族たちが、善意のまま、ひとりの女の身体を帳簿にしてゆく。
それでいて谷崎は、決定的な場面を直接には書かない。書くのは、待つ時間。見るという行為。衣裳と肌のあいだの距離。触れそうで触れないままページが進むから、読む側の体温のほうが先に上がる。桜と同じ理屈である——枝の花は、手折れないから匂い立つ。
一九四三年、『中央公論』の新年号から『細雪』の連載が始まり、一月号と三月号に載ったところで止まった。軍部の意向である——時局にそぐわない、と。谷崎は書き続けた。翌年の夏には私家版の上巻を仕立てて知友に配り、それも当局に禁じられた。稿はなお進み、戦争が終わって、一九四八年に下巻まで揃う。爆音の時代に、帯と縁談と花見の小説を書き続けること。それは風流ではない。意地である。女たちの日常と身体が「時局にそぐわない」のなら、そぐわないものこそ書き残す価値があった。
机があったのは神戸・住吉の借家、のちに倚松庵と呼ばれる家だ(一九三六—四三)。蒔岡の四姉妹には、松子夫人とその姉妹の暮らしが流れ込んでいる。この小説の身体の精度は、想像の距離ではなく、同じ屋根の下の距離なのである。
だから、最後の一文がある。物語は雪子の婚礼支度へ向かうが、谷崎は祝辞で筆を置かない。嫁いでゆく雪子の身体を、最後の一行まで身体のままにしておく。長篇の結びとしては前代未聞で、そして、これ以上に誠実な結び方をこの小説は持ち得なかった。

胸に刷ってあるのは、幸子の桜の一節と、夙川の春の実写。物語を、装いの下に着ておくためのTシャツである。
この一枚の作り手は、47storiesJP。四十七の都道府県それぞれにひと作、著作権のすでに消滅した文学から一節を選び、物語の土地——その実写の風景に言葉を置いて、Tシャツの胸に刷る。引用は原文どおり、仮名づかいひとつ動かしていない。風景はすべて実写。人物を描くなら、生成AIが描いた架空の巡礼者——現実のどこにもいない。兵庫の一枚が、この『細雪』。
47storiesJP
「花では何が一番好きかと問われれば、躊躇なく桜と答えるのであった。」
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#01 兵庫 / 谷崎潤一郎『細雪』
泥に沈むモダニズムと生存の根源
兄と妹がひと作ずつ語りあう番組の、第一回がこの『細雪』。題は「泥に沈むモダニズムと生存の根源」。美しい着物の話では、終わらない。
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