与謝野晶子『山陰遊草』(鳥取砂丘の短歌)
昭和五年五月二十五日、鳥取砂丘。
二十四文字を、一歩ずつ。
↓踏む
浜坂の遠き砂丘の中にして さびしき我を見出でけるかも
有島武郎 大正十二年四月
そのひと月後に、有島は自ら命を絶った。
七年前から、この足跡はここにある。
沙丘踏み さびしき夢に与かれる われと覚えて涙流るる
与謝野晶子 昭和五年五月
与かれる
与かれる、と晶子は書いた。慰めるでも、悼むでもない。あなたのさびしい夢に、わたしも入れてもらう。七年おくれの返歌は、その動詞ひとつでできている。
同じ日の砂
砂丘とは浮かべるものにあらずして 踏めば鳴るかなさびしき音に
与謝野晶子(砂丘の歌碑より)
泣いている人の耳が、足の下の砂の音まで聞き分けている。
覚え書き
有島武郎が砂丘に立ったのは大正十二年四月三十日。与謝野寛・晶子夫妻は昭和五年五月二十五日(鳥取大学ジオパークハンドブック)。晶子の一首を、鳥取市の資料は「命を絶った友人有島武郎をしのんで詠んだ歌」と記す(鳥取市公式観光サイト)。
二人の歌碑は、いまも同じ鳥取砂丘に建っている。歌の表記は碑面の転記に拠った。
ひと息を着る
この一首が誰へ向けた歌か——それを知って着る一枚と、知らずに着る一枚は、たぶん別のものです。
つくり手は 47storiesJP。県ごとに文学をひとつ選び、その言葉を、いま撮られた土地の風景に重ねています。鳥取は、砂丘のこの返歌。
いまの砂丘
海へ歩いていく人物は、生成AIが描いた架空の巡礼者で、実在しません。